とてつもなく高価なブランド品を買う人たち。その一方で、 260円の牛丼や 160円のハンバーガーにおなじ人たちが群がっています。 そうした とても安い食事を提供するお店のテーブルに、ルイ・ ヴィトンのバッグが載っていることを誰も奇妙だと思わないのでしょうか? 「一点豪華主義」という豪華なのか貧しいのかわからない標語が現われてもいます。
この状態を簡単に言い換えてしまうと、 消費者の側における判断停止を原因とする両極端化です。 消費者の側に商品価値に対する判断能力が無いため、「ブランド」であるとか「価格」 という非常にわかりやすい記号のみに反応する消費行動が作られてしまっているので す。洋服にしても食事にしても、ある品質の物に対して、 どのくらいの金額を支払うべきかという判断が、私たちの「値ごろ感」をつくります。 品質が高いならば、それなりの金額を支払い、またその商品を選択するでしょう。 品質が低いなら、もう二度とその物に対してお金を払おうと思わないでしょう。
こうした判断が可能になるためには、消費者の側に商品に対する知識・ 評価基準などが備わっている必要があります。 例えばスーツについて考えてみてください。この論文を読んでいる皆さんは、 値札のついていないスーツを着せられて、 そのスーツの値段を推測することができるでしょうか? そのスーツの値段を測るためには、生地の品質、仕立ての良し悪し、 細部の仕事の丁寧さなどを測る必要があります。これは、 実はとても大変な知識と感性を必要とする作業です。スーツに限らず、 あらゆる商品について、このことは妥当します。
もし、消費者の側に、この「値ごろ感」が形成できない場合、 どのような行動をとるか考えれば、二極化の原因はすぐに分かるはずです。 自分のとくにこだわりをもつ商品については、とにかく「最高の品質」 をもつと考えられる商品を選ぶはずです。そこで、自分の知識の範囲で「最高の品質」 を提供していると考えるブランドを信奉するわけです。一方、 こだわりのない商品については、とにかく「最低の価格」をもつ商品を選ぶはずです。 なぜなら、商品として成立している品質を備えている以上、 価格が最低であれば少なくとも「損をしていない」と安心できるからです。 このように二極化の原因は、 消費者の商品に対する見識が著しく低下していることが理由なのです。
当然、現在の消費者が怠慢である、というわけではありません。私たちが、 すべての商品について「目利き」になることは不可能です。そうした場合、従来では 「商店」あるいは「店主」、もっと一般的に言えば「暖簾」を信じてきたわけです。 経験的に、あるいは地域的な伝統として、「この店はインチキな商売はしない」 「この店は、この程度以下の品質のものを置かない」といった信用を測ることで、 商品の品質を測る代わりをしていたわけです。そういう意味では、商店というのは、 客の代理人として商品知識をたくわえ、商品の選別を行っていたわけですから、 どんな業種の商店であっても情報サービス業の一種であったと見ることができます。
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